かつての日本を代表する遊戯機器製造会社である。FUJIYAMAやバンデットを世に送り出し、日本でのコースター黄金時代を築いた。コースター以外でも、東京ディズニーランドのスプラッシュ・マウンテンなど幅広い遊戯機器を製造していた。
元々は東洋娯楽機株式会社として発足。遊具製造だけでなく、アミューズメントパークの運営も手がけていた。特に「浅草花やしき」は有名である。
1953年には、花やしきに同社初のローラーコースターを設置。大好評となる。同コースターは何度かのリニューアルを経て今でも現役の人気アトラクションとなっている。同コースターは、日本に設置されたコースターとしては宝塚ファミリーランドの「ウェーブコースター」に次いで二番目。現存するコースターとしては日本最古のものになる。また、RCDBによると、世界に現存するスチールコースターの中で5番目に古い。
80年代後半からは大型コースターの開発に注力し、特にFUJIYAMAはギネスで4冠を獲得する快挙を成し遂げ、世界的なコースターメーカーとしての地位を確立した。
また世界初のスタンディングコースターや、パイプラインコースター(ウルトラツイスター)など個性的なコースターも多く生み出し、海外進出を果たす(事業拠点はオハイオ州シンシナティ)。それらのコースターは、目新しさもあり北米を中心に数多く導入された。もっとも有名なのは、ラスベガス、ニューヨーク・ニューヨークホテルのマンハッタンエクスプレスである。コンペの結果、海外製コースターと比べて静かな走行音や振動の少なさが決め手になったと言われる。
しかし、そのころ日本ではアミューズメントパークの乱立とバブル崩壊の影響で大型遊具を中心に新規投資が極端に減り、会社の業績は悪化していた。同族経営陣による放漫経営も原因になったと言われる。
そんな中、2000年には米ナッツベリーファームに導入した併走型ループコースター「ウインジャマー・サーフレーサーズ」の相次ぐトラブルで裁判になり、パーク側がら1700万ドルの賠償請求が行われる。裁判の結果要求は退けられたが、会社のイメージは悪化し米国におけるビジネス展開は困難となってしまった。
主力と位置づけたメガコースターと海外展開で大きく躓いたトーゴは事業のリストラクチャリングを迫られる。海外法人は撤退し、大型コースター部門も解散。会社は大幅に縮小し、経営リソースを一部事業に集中させることで存続を図った。
しかし、再建は容易ではなく、2003年には売り上げは約17億円と、ピーク時の8分の1程度まで落ち込んでしまう。翌2004年の1月19日、とうとう会社更生法の適用を申請、経営破たんする。同ニュースは、「花やしきが破たん」として全国的なニュースとなった。ちなみに同社最後のコースターは東京ディズニーシーの「フランダーのフライングフィッシュコースター」。
(花やしきはバンダイグループ(現バンダイナムコグループ)のバンプレストに買収され運営が継続されている。)
トーゴ本体は消滅したが、同社の一部門であった子会社「九州トーゴ」は存続しており、納入した機器のメンテナンスを中心に事業を継続している。また、開発部門の人員は、業界他社に移って活動を続けていると言われる。
1935年(昭和10年)創業
1949年(昭和24年)6月、東洋娯楽機(株)の商号で法人改組
1949年、遊園地「浅草花やしき」の直営開始
1953年(昭和28年)、花やしきにコースター設置
1984年(昭和59年)、現商号に変更
2004年(平成16年)1月19日、債権者の整理回収機構(RCC)が東京地裁へ更生手続開始の申立て。同日保全命令。負債は約82億円
|